ん倶楽部とは

 ん倶楽部は教学比較IRコモンズに設けられた倶楽部活動のひとつです。

「ん」という文字は日本語音節文字の五段十行で構成された五十音図の埒外に置かれた文字です。いろは歌では平然と無視されることがほとんどです。もっとも、いろはというのは伊呂波とか以呂波であって、舶来種の平安朝加工品、あそびごころは溢れていても超出の創造性からは遠い産物ですから、そのかぎりでは弾かれてあることはむしろ誇らしきところともいえます。

 伊呂波歌にあとひとつこだわれば、その47字歌の最後には「京」の字を加えて48字にすることがあるようです。これがひらがなでは「ん」と表記されることがあるため、「京」を「ん」と読むのかと思いきや「かなじり」とか「かなどめ」などと読んであくまで異質な存在性をあらわそうとするようです。いかにも雅な公家的了見というところでしょうか。

 ところで、いかにも画然とみえる五十音図のほうですが、これもご案内のとおり、や行やわ行の終盤部分は文字の重複で枡を無理にも埋めている状態です。いじましいではありませんか。定員が充たせていないのに、それでも「ん」はその格子の外に置くのです。どうも規格外で扱いに困るらしい。

 小学校の頃にしばしば目にした五十音図では、いつも最後の方に独り外されている「ん」が気になった方も少なくないのでは?

 でありながら、現代に生きるわたしたちはこの「ん」なしでは日本語を語ることも書くこともできない。

 つまりこの言語は「ん」なしでは成り立たない。

 しかるに「ん」は五十音制度の格外なのだという。おもしろいではないですか。なにやらたいへんくだらなくおもしろい。

 しかし、ちょいと考えてみると、こうしたくだらぬ力学が働くところ、この世にままあり、 そうした場所にあえて「ん」として立ってみると、なかなか興味深い眺望が拓けてくるものです。

 世の中、かの格子のなかのどこそこに入りたい、入っていたい、それもできれば全体に影響する「あ」行がよいとか、あっちの枡に移りたいとか、まさにいろは、のいろいろですが、しかし、その人知恵にすぎないインスティテューションから外れてみれば、四角四面では対処できないことに充ちているこの世の中ゆえに実は「ん」が求められているようすがわかります。

 その自由精神、遊離の視座から思考し活動する場、それがわたしたち「ん」倶楽部です。




ん倶楽部 2024